第29回大会ネタ
「年末年始の飾り物」
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記念すべき
初の応募作品!
(予選: 1989年12月) |
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第29回大会はお正月大会。 年3回ある大会のうち、応募総数が最も多い大会にもかかわらず、スタッフから
「書類審査合格!」の電話を受けた時、うれしかったことだけはさすがに強く覚えている。 ネタは 「年末年始の飾り物」。 早変わりを売り物に、クリスマスツリー、門松、最後に鏡もちと干支である「馬」の扇子を広げるという代物である。 チャレンジャーは短大の友人であるO君、N君そして私の計3人。 私たちは短大の学友会役員だったのを好都合に(?)、学友会室をフルに活用してカーテンをペンキで染めて部屋中に干したり、そこで練習したりした。 練習環境は良かったはずだが、結局まともに練習をせぬまま、福岡予選当日を迎えてしまった! 予選だし、まぁ大丈夫だろうってことで。 |
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そして当日。 短大で車に荷物を積み、いざ!FBS福岡放送へ!! 会場で受付をして記念品をもらい、控え室に荷物を運ぶ。 ちなみに今回の地方予選(福岡:二次審査) には20チームくらいが残っているという。 控え室にはすでに子供達がたくさんいた。またそこでは過去の仮装のビデオが流れていて、大勢の人がTVの前に集まって見ていた。 さて、私たちは顔、腕、足にメイクをしてもらい、控え室で道具の手直しをしていた。そして予選会が始まった。 控え室と演技する部屋はとなりどうしで丸見え! 予選出場者たちは興味津々で他の演技を見ていた。私たちもその中にいたが、その演技を見て「ヤバイ!」と思った。 私たちは 「たかが予選」とあなどリ過ぎていた!! しかしここではみんな、TVに出場するときのような、ちゃんとしたセットで演技していたのだ。 それに比べて私たちのは、「こんな感じですよ〜」的なイメージセットだった。それにつけても練習不足・・・。 順番が近づくにつれ焦りが増す。 そしてついに、私たちの番が来た! |
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@クリスマスツリー
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A門松
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B鏡もち
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セットの5mほど前方には、審査員である5〜6人の番組スタッフがいて、 右側にからは出場者たちの多数の視線・・・。緊張するー!! スタッフの声 『では始めまーす。15番! タイトルは 年末年始の飾り物です。ではどうぞ!』 私たちは、照れながらも演技を始めた。 「クリスマスツリー」のシーンでは、3人が縦に並んで緑の三角布をひろげた。ツリーの電飾は銀紙を貼った丸厚紙をゆらしてキラキラと反射させて表現した。 次は「門松」。ここでポジションを変えるのだが、メガネを外した私たち3人は、視界不良の為ソロソロと移動。(全然早変わりのムードじゃない!) また、「門松」の下部の絵が床面に落ちてしまい、スタッフにしばらく持ってもらったりもした。 そして最後、「鏡餅」の上で、来年の干支「馬」の扇子を広げるとき、「あっ、扇子がない!」 無情にも控え室の壁際にたたんで立てかけてある大扇子が見えた。 私はあわてて、前のスタッフたちにこう言った。 「えー、ここで扇子が開くんですが、今ちょっと無いんで・・・、 今年の干支は馬年です! ヒヒーン!!」 …むなしい終わり方だった。しらけた空気が流れる。出場者たちの拍手もパラパラ。 それでも、私たち3人はスタッフたちの前に呼ばれた。 (演技が終わったらどのチームも、このようにスタッフの前に並び、演技の批評、アドバイスを頂けるようになっている) 1チームあたりのアドバイス時間はだいたい 5分少々。 話が盛り上がれば 10分近くになるらしい。 だが私たちにとっては、まるで悪いことをした生徒が先生の「説教」を受けるようなものだった。 |
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スタッフの声。 「・・・申込書、きれいに描けてたので期待してたんだけどねぇ」 「練習がいまいち足りなかったね!」 「じゃ、また次回頑張ってください〜」 ・・・私たちは何も言えなかった。 |
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アドバイスは約30秒で終了。私たちはこの時点で「不合格」を悟った。 普通この地方予選では「不合格」じみたことは言わないらしいのだが、私たちの演技はよほどひどかったのだろう。 またスタッフが、私たちの演技中にポラロイド写真を撮ってくれていて、それをもらった。見ると確かに「飾り物」には見えなかった。仮装をナメた、私たちの姿がそこにあった。 |
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控室にて練習 (N君)
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演技後 廊下にて
(左から私、N君、O君) |
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トイレでメイクを落としながらもガックリ。しかし自業自得であった。 練習もろくにしないで予選に受かろうという考えは甘かった。 優勝賞金もらったら、3人で100万円を3等分して1人33万円ずつに分けようという考えに先走っていた、私はバカだった。予選落ちという結果もさることながら、この甘かった考えに腹が立つやら、・・・ガッカリするやら。 …帰りの車中は静かなものだった。 そして夜8時頃、小倉の短大前に到着。机など学校から借りた荷物を下ろす。 解散の時、O君のお父さんが「気をおとすな」と言ってくれてたが、その言葉に、私は一層 みじめさを感じた。 それから2週間も過ぎたある日、予選のことを忘れかけた頃、とどめを刺すかのように自宅に届いたのが「不合格通知」。 内容は 「お正月の番組を見て、次回出場の参考にして下さい」とのことだった。 つまり「予選落ち」。 ※ お正月には、この回の番組を見たはずだが、どんな作品があったか覚えていない。福岡予選でやっていた作品も見あたらなかった気がする。 また、この大会以後、何度か新ネタを書いて応募したが、そのたびに書類審査で落ち続けるのだった。 |
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追伸 |
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先の「予選落ち」から1年後。東京に就職した私は、 メガネをコンタクトレンズに替えた ことをここに記しておく。 今後の「仮装」の為に♪ |
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第29回大会 おわり
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