第46回大会ネタ
「スチームアイロン」(1/4)
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今回の「体験記」は日付ごとに内容を分けました
福岡予選: 1995年(平成7年)7月 |
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前回予選落ちしてから 5年半が過ぎた頃、私は再び仮装にチャレンジした。
…というよりも、その間何回か応募したけど書類で落ち続けていたのだ。 今回のネタは「スチームアイロン」 内容は単純。蒸気を出しながら、洗濯物をアイロンがけするもの。 蒸気は白い粉を口で吹いて、舞わせることで表現する。 |
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'95年6月26日 日本テレビに申込書を発送 まずは、「スチームアイロン」と「ミキサー」の2つのネタを提出。 |
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'95年(平成7年)7月7日 「書類審査合格」通知! ゴロのいい日に日本テレビから電話がかかってきた。(ちなみに「ミキサー」は以前、似たアイデアがあったらしくボツ)。 でも嬉しい!引き続き演技の打ち合わせに入る。予選日は7月23日。 |
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「スチームアイロン」具体的な(?!)イラスト
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(書類提出分)
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付記:私は絵が苦手だ!
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次の日から予選に向けて、セットの製作に入った。予選まで2週間しかないのでもうバタバタ! まずアイロンがけの台。材木を切ったりするのは家の玄関先でしかできないので、帰宅後、日没までの1時間が勝負!それを過ぎたときは家の中に持ち込み、コソコソと作業。また、台の「脚」の長さが合わずに何回作り替えたことか。台が斜めに倒れるようにする過程にも時間をくった。予選日が近づいた頃には夜、自宅下の倉庫街(門司区西海岸)に材料を運び、暗い蛍光灯の下で深夜までセットを作っていた。その光景が不審に見えたのか、パトロールの警官にも尋問されたり! …これはウソのようなホントの話。 | ||||||
頭からかぶるアイロン本体 も同時進行で製作。まず頭の型を厚紙でとって、それにアイロンの形になるように厚紙で肉付けをした。その型の上に、水のりにひたした新聞紙を貼っては乾かし、貼っては・・・・・ を繰り返した。(だるまを作る要領)。単純だが時間がかかる地道な作業だった。 | ||||||
'95年7月19日 地方(福岡)予選通知状 が届く | ||||||
'95年7月22日(土) 地方予選前日 会社は休みだったが、練習なんかする余裕はなかった。予選前日の今日も夕立の合間をぬって、O君の手伝いを受けながら倉庫の前で製作。また、ココでほんの少しだけ練習。(家の中では粉を吹くのは不可能だったから)。練習はここでの20分だけで、夜も小道具の製作が続いた。 |
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'95年7月23日(日) 地方予選(福岡)当日 眠い。セットを分解して車に積みこんで、姉とO君を載せていざ!FBS福岡放送へ。 顔のメイクをすませたあと順番を待って、私の番となった。 前回予選同様、6〜7人のスタッフを前に演技をした。 テーブル面を斜め前方に倒し、顔面を洗濯物のハンカチにくっつけて息を吐いた。 ハンカチには予め片栗粉がまぶしてあり、息を吹くと白粉が舞って蒸気に見えるハズ…だった。 しかし、舞わない。 やむなく手で洗濯物をバン!バン!叩いて、無理矢理に白粉を舞わせた。 この「アイロンがけ」の演技を2度繰り返して演技終了。審査員たちの前に1人呼ばれ、矢継ぎ早に質問された。「粉は何使ってたの?」 「アイロンの下に手が入ってたのはマズイね」(←手で叩いた分) etc. この会話は5分間ほど続き、そのあと私たちは控室に戻った。今回もダメな気がした。 |
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全員の演技が終了したあと、私たちはスタッフから帰宅を待つように言われた。どうも1チームずつ別室に呼ばれているようだった。演技後(前回の私の様に)すぐ帰るチームもいた。しかし私たちは待機…!? これはもしかしたら!という期待感と共に1時間ほど待って、ようやく私(付添の2人も)が呼ばれた。私たちは初めてスタッフルームに入った。 そこには先ほどの審査員(スタッフ)がずらりいて緊張!早速私の演技に対する意見交換が始まった。予めスタッフ同士で考えてくれてたらしく、1枚の紙にネタの簡単なイラストが描かれていた。 それを見ながら 「こんな感じで待機して蒸気を出しているシーンを入れては?」とかアドバイスをくれた。私も意見を返したり。 …こうして、時にはお互い無言で考えたりしながらも約20分が経ち、部屋を退出。 その後、スタッフの1人がきて「今後の事ですが…」と言うと共に、「8月11日までに今のところを修正して、写真とビデオにとって送って下さい」と。 どうやら… 2次の地方予選、通過したみたい ?! うれしかった。 |
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つづく
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